社会と会社

今朝は、シスケンフィロソフィⅡの⒑ 会社の決まり事や業務プロセスを順守する
を取り上げます。

盛和塾の機関紙にこんなエピソードが掲載されています。
今は引退した京セラの幹部の皆さんの稲盛さんとにまつわる思い出を紹介するコーナーなのですが、元京セラ役員の山本さんの話です。
中途採用者の一人として彼は京セラに入社します。
入社研修が終わったコンパの席で「朝礼に出よ、敬礼をしろというのは、基本的には本人の自由であり、フィロソフィもわからないではないがそれに従えというのはおかしいのではないか」という反発の声が上がります。

山本さんは「自分の意志で入社しながら今さら文句を言うことでない」とは思いつつも、その気持ちもわからんでもないと思ったそうです。
しかし、次の稲盛さんの言葉に彼は衝撃を受けます。
「あなたは社会と会社を混同しています。社会ではあなたが言う通り個人の自由が広く認められています。
どんな考えを持つことも認められます。
しかし会社では、社員を食べさせていくという明確な目的をもち、その目的を遂行するために社員のベクトルを合わせなければなりません。
あなたが批判する朝礼もフィロソフィも社員を食べさせていくという大切な目的に基づいて行っていることであり、いわば企業としての個性なのです。
それが嫌なら自分にあった会社を選ばれるべきです」

山本さんはそれまで人間は自由でありそうあるべきだと普通に思っていました。
しかし、稲盛社長の話を聞いて目が覚めたと言っています。
「企業にはそれぞれ固有の目的があり、その目的を果たしていくためには各人がバラバラであってはいけない。
企業に設けられているルールは企業の目的を達成するためのものであり、いわば企業の個性とも言うべきものである」稲盛社長の言葉を素直に受け入れ、山本さんは後に、京セラの代表権を有する副社長にまで登りつめます。

社会、ひっくり返して会社。
似ているようで実は全く違う。
このエピソードを読んで私もそのことに気がつかされました。
社会の理屈を都合よく解釈して会社に不満を言ったり、愚痴を言ったり、それを理由にして会社のルールを守らなかったことを正当化する。
これは実によくあるパターンですが、そのような人に限って、会社を変わっても結局は務まらず、同じことを繰り返すだけなのです。

もちろん会社も社会の構成メンバーですから、当然、所属する社会の決め事には従わなければなりません。
それが公明正大に利益を追求するであり、原理原則に従う、ダブルチェックの原則などに通じるわけです。
しかし、その一方で企業としての個性と品格を磨き上げ、独自の企業文化を成し遂げた企業こそが、その存在意義を確かなものとし、継続的に発展していくことができるのだと私は思います。
そのためにこそシスケンフィロソフィは存在するのです。


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