許す力が利他の入り口

先日、稲盛さんの著書経営問答集を読んでいたら、なるほどそうだなと改めて思い至る点があってのでご紹介します。
私の欠点の部分でもあり、大いに反省させられた文章でもあります。

同族経営の会社で親子、さらに兄弟との身内同士の確執で悩んでいる大手和菓子店の専務の問いに答えた塾長の回答です。
「例えその人に問題があってもそのくらいは許してあげるのです」から始まり、次のように塾長は強調しています。
「許す心が大切なのです。許すのというのは実は利他に入っていく入口なのです。なんでもかんでも相手が悪いというようにあげつらい、相手が悪いという心で見ますと相手はみんな悪く見えるのです」
確かにそうかもしれません。
いかに謙虚で、反省ある日々を過ごそうと努力していても、私たち凡人は意見の対立や見解の相違といった場面になると、どうしても自分の考えが正しいと思いがちです。
ましてや相手が悪いと思い込んでしまうと、相手の言うこと、することすべてが悪く受け取ってしまう。
そんな相手だと、自分が間違っているかもと思っても素直に自分の非は受け入れたくないものです。
ついつい相手と余計な我の張り合いをしてしまう。
それは相手も同じなのですから、双方が我を張ってしまってしまう。自分から申し訳ないと謝れば、丸く収まり、双方のいいとこ取りした素晴らしい解決策がみつかるのかもしれません。
これは決して妥協を意味しているのではありません。
一旦、相手を許して、その意見や立場を受け入れた上で、相手も立てて一致点を見い出していくということだろうと思います。

こうしたことができる人が心の器が大きいということなのでしょうか。
伊集院静氏はベストセラーの著書「許す力」で、許す力こそ賢者の知恵と言っているそうです。
こういうと「例えミスをしても許してください、社長はこの前朝礼で許す力は賢者の知恵といったではないか」なんて屁理屈を言う人が出てくるかもしれませんが、明らかに間違っているのにそれを指摘もしないというのは許す力ではないと思います。
それは大善の気持で叱らなければなりません。
許す力を最も身に着けるべき人は、例えば心を傷つけられたとか、恥をかかされたとか過去の出来事に縛られて根に持っている人、被害者意識の強い人だと思います。
当社にもかって、もうやめた上司に言われたひとことを根に持って個人面談で恨みつらみをグチグチ言う人がいました。
その上司は辞めているのですから本当にそのようなことを言ったのか私としては確認しようがありませんからうかつに同意もできません。
「もういかげんにしたら。辞めた人にいつまでも恨み節を言ってもしょうがないし、それが事実だったとしても変えられない過去に縛られていることほど愚かなことはない」
そう言うとその人はいつも不機嫌そうな顔をしていました。
結局、その人も辞めましたが、過ぎたことをいつまでもうじうじと恨まない、悔やまない、許す力のない人は己の人生の幅を狭めてしまうと私は思います。

とは言いながら人の欠点はよくわかるのですが、わが身のことなると正直、なかなか難しいと思います。
偉そうなことを言っても私自身、出来ていないのはよく承知しています。
負けず嫌いの私はすぐに反論したくなって、これが出来ていないといつも反省しています。
60過ぎてなお、その性格は簡単には変わらず、会議の席などでも自分で自分の反論したがる心を馬のように「どうどう」と抑えているのが現実です。
私も含めてですが、立場が上になる人ほどこの許す力が必要だと私は思います。
何故ならそのことがその人の心の器量を決めるからです。
一旦は自分を捨てて、相手を受け入れる器量を皆さん持てますかね。
しかもそれは、利他への入り口でしかないわけです。
これができないと利他に至らないわけです。
改めて利他の心とはなんと奥が深いことかと認識した次第です。


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