素直な心とは・・

盛和塾福井の輪読会で素直な心を持つで盛り上がりました。
素直になれる時となれない時がある、相手によって変わる、人の忠告を受け入れれば素直なのか、そもそもあんたに言われたくないというような人から言われても素直に聞くというのはおかしいのではないか、自分で自分を素直だと思えればそれで素直なのか等々。
いろんな意見がでました。
皆さんの意見を聞きながら私が思ったことは二宮尊徳の逸話です。
かって小学校の庭には必ずあったマキを担いで本を読んでいるあの像の人です。
幼くして両親を亡くした尊徳は叔父さんの家に引き取られます。

向学心旺盛な尊徳は夜、菜種油の灯の下で本に読みふけっていると、叔父さんがやってきて、「油がもったいないではないか。その油もお前のものではなく俺のものだ」と怒られます。
尊徳は叔父さんが怒るのは当然だと思い、今度は野良仕事の昼休みの間を使って家の裏の荒れ地を耕し、菜種を植え、一年後にそれを油に変えて灯をともし、勉学にいそしみます。
するとまたも叔父さんが「そもそも裏の土地も俺のものだし、休みの時間だって俺のものだ」と怒ります。
尊徳はその理不尽さに怒るわけではなくそれもそうだと思い、山に柴刈りに行った帰り、重い柴を担ぎながら本を読む習慣を身に付けました。
この姿が後に、あの像となったわけです。
ただのごうつくで、欲張りだらけの叔父さんの言うことにも素直に耳を傾け、腐ったり、己の不幸を嘆いたり、怒ったりもせず、それに従いつつも努力を続けた尊徳は、やがて開墾のプロとして次々と荒れ地を農地変え、その名を轟かせます。
すべて独学で土木を学び、多くの百姓の尊敬を集めながら開墾を続けます。
名声は留まるところを知らず、やがて江戸城に呼ばれ、参内した時、あまりの凛としたたたずまいに居並ぶ大名が舌を巻いたとさえ言われます。

素直が一番、素直は成長の親だとわかってはいても素直になれないのが私達の常です。
人の忠告が耳に痛ければよけいに反発します。
立場や年齢が下の人、あるいは性格が合わない人だとなおさらです。
素直になるにはどうすればいいのか。
私は一度は人の言葉を心に落としてみる、またはとにかく受け入れてみるように心がけることなのだろうと思います。
そして決して瞬間的に反応しない、感情的に思考しない、利己的に考えないということだろうと思います。
私なりにこれを出来るだけ守ろうとしています。
守れない時も多々あり、まだまだですが、頑張ってやっていれば少しは心の器量も大きくなるかもしれないとちょっと期待しています。


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