心の中に喜神を持て

安岡正篤(まさひろ)という陽明学者がいました
松下幸之助が師と仰ぎ、歴代の総理大臣も教えを請いに彼のもとに通い、影の宰
相とまで言われた知る人ぞ知る昭和の思想家でもあります。
その人が次のような教えを説いています。
「人物を修めるには精神を常にはつらつとしておくべきである。そのための三つ
の方法。第一は心中に常に喜神を含むこと。どんなに苦しいことに会っても心の
奥に喜びをもつこと。第二に心中に絶えずありがたいという気持ちを持つこと。
何かにつけてすべての者に感謝感謝の気持ちを持つこと。第三は常に陰徳を志す
こと。機会があればよいことをしようと志すことによって喜神を含むことができ
る」

まず、人ははつらつしていないとダメだというのは納得します。
暗い感じの人に運やツキが巡ってくることはありません。
私は夜飲みすぎたりすると翌日、直ぐにその疲れが表情に出たりするので、「飲
み過ぎた」と言い訳する前に早く帰ろうと心掛けています。
そんな調子で自分で自分を鼓舞しないとなかなか人ははつらつとはいけません。
生まれつきそのような気を有している人もいますが、これは実に幸せな人です。
常にはつらつとしていられる条件の一番目が心中に常に喜神を持てです。
喜神についてはちょっと説明が必要です

別の解説によれば「喜神の神とは神社仏閣に祀ってある神ではなく、精神の神(しん)、つまり心の最も奥深い部分を指す」言葉だそうです。
喜神を含むとは、どういう立場に立たされようと、それに心を乱されることなく、心の奥深い部分にいつも喜びの気持ちを抱いてことに当たれば、どんな運勢でも開けないものはなく、その運気は上昇気流に乗ったように開けていくことになる。
従って「これこそは人生の極意であり、喜神を含んでものごとが実行できるよう
になるためには、どんなことであろうとも、甘んじて受けることが大切だ」とい
うことだそうです。
人生の極意とまで言っているわけですが、私的には私の心には喜びの神様がいる、というか私には付いているのだと勝手に思って苦しい時、災難に遭った時でも心の奥に喜びを持つことだと解釈しています。
間違ってもきしんはきしんでも鬼神を心に持ってはいけません。
同時に感謝、感謝の気持ちが大切だと言っています。
稲盛さんが言うところのひたすら感謝です。
そして三番目が陰徳を積むです。
何か人の為に善いことをしようと常に心がけている。
利他の心ですね。

さらに稲盛さんは業を消すことでも陰徳を積むことができるのだと説いています。
利他と共に自分に降りかかる災難やトラブルを受け入れていくことも人生では必
要なことで、そうすることによって心に喜びの神が宿るというわけです。
安岡さんにしても、稲盛さんにしても言っていることの本質は同じです。
素晴らしい人生にするために、フィロソフィの血肉化していくことの重要性がご
理解いただけるのではないでしょうか。
元気があって、笑顔も素敵で、できればそんな人として一生を終えたいものです。
できればなかなか人物もできていると言われればもっといい。
そのためには心に喜びの神様を宿らせることが始まりなのです。
というわけで今朝のシスケンフィロソフィは「常に明るくです」では、読ませていただきます。


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