才か徳か

古代中国の諺における才と徳の話で以下のような話があります。
稲盛塾長が盛和塾の例会で紹介された話です。
才も徳も勝っている人を聖人という
才よりも徳が勝っている人を君子という
徳よりも才が勝っている人を小人という
徳も才もない人は愚人という
リーダーに据えるべき人は聖人か君子に越したことはないが、どちらもいないのであれば愚人を登用すべきである。
徳がないのに才に勝っている人は集団にかえって害をもたらし、下手すればその集団を滅亡に追いやる。
なかなか含蓄があり、人としての才能と人徳の関係を言い得ていると思います。
徳のある人こそが上に立つべき絶対条件であり、下手に才だけある人なら、むしろ愚かな人を持って来た方が悪さをしないから余程ましだというわけです。

何やら昨今の政治家や官僚の言動や不祥事をみていると確かにそうだと思いませんか。
東大はじめ一流大学を出た人がその才をよこしまなことにばかり使い、やがて世の中に害を及ぼし、中には罪人になる。
商才に長けて大企業のトップまで登りつめたのはいいが、金儲けのみに走り、やがて不正を働き、その企業を存亡の危機に導く。
そんな事件や出来事ばかりが世の中には溢れています。
それは結局、家庭や学校において才ばかりを磨くことを教え込まれ、社会人としての正しい役割や義務を身に付けないままに利己的欲求にのみ走った結果と言えます。
なまじ才があるから利己心が働くと始末が悪いのです。
才のある人ほど徳を積むように教え込まないといけないのです。
それがその人の身のためなのです。

そんなこと言って自分はどうなのかと言われそうですが、そうそう再々あるわけではありませんが、時に人から話が旨いねとか褒められることがあっても所詮それは第三等の資質に過ぎないと自分を戒め、時に会社を創業してからの実績を褒められることがあっても、ほとんどがお世辞に過ぎないのですが、世の中で稲盛さん始め立派な経営をされている人が五万といる、自分なんかまだまだと心の底から思うようになりました。
調子に乗らなくなったのも盛和塾でフィロソフィを学んできたお蔭だと感謝しています。

愚人という言葉がでてきますが、これは私は愚直な人、つまり才はないけど素直
な人を指すのだろうと思います。
愚かな者といっても知的に遅れているという意味ではありません。
浄土真宗の開祖・親鸞は、自らを愚直親鸞と名乗ったといいます。
つまり素直に、まっすぐに自らの師である法然上人の教えを信じて貫き通したという意味だろうと思います。
自らを愚直と呼ぶ姿勢が先週の朝礼で話した絶対肯定にも通じる強さを感じます。
話が横にそれたかもしれませんが、我々は、特にトップの私は、あるいはチームのリーダーは徳を積まなければなりません。
つまりフィロソフィを血肉化していくことこそが、トップとしてのリーダーとしての役割を全うしていく唯一の道なのです。
同時にその人の物心両面の幸せを実現してくれる道でもあるのです。


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