泣きながら生を受けた私達

シェイクスピアのリア王の中のセリフに「人間は泣きながらこの世に生まれてくる」というのがあるそうです。
生まれてくるなり泣いている動物はいない、人間だけです。
動物は生まれたら死ぬということをわかっていませんが、人間は生まれた時から死に向かって一直線に進んでいる。
それだけはどんな人でも変わらないということをわかっている。
万物の霊長といわれる所以がそこにある。
だから人間は泣きながら生まれてくるのだと言っています。
これは弁護士でかつて大活躍された故・中坊さんの言葉です。
人は死ぬために生まれてくると言った人もいます。
それほど人は死から何人といえども逃れることはできません。

だから私は死の迎え方がその人の人生を決めると思います。
稲盛さんはそのことについて、生まれた時より少しでもきれいな心を持って死ん
でいくことが人としての使命だと言っています。
心を高めるとか、心を磨くことの意義はそこにあるとも言っています。
なんで生まれた時より心がきれいでなければならないのだといちゃもん的に言う人もいるかもしれませんが、もし仮に小学校に入学し、卒業した時にその人の人間性が入学時と同じであったらその人は何のために小学校に入ったのかとその意義が問われます。
会社も同じです。
入社時と退職時の人間性が大して変わらないのであればその人は何のために入社したのか、会社自身も存在する意義が問われます。
人生も同じです。
人間として生まれた時より心が下がって死んだとすればその人の人生は一体なんだったのかとなる。
仏教の指導者や一部の心理学者はそうした人には再度同じ試練の人生をやり直させられると言っている人もいます。
殺し合ったもの同士が再び近くに生まれるとか、離婚した者同士が再び現世で出会うとかね。
事の真意は私にはわかりませんが。
ただ、やはり人間として貴重な命を授かった以上、少こしでも成長して人らしく死を迎えたいと思います。

極端な話、次々と自分の部屋に若い女性を招き入れて殺害していったあの男性はそもそもなんのために生を受けたのだろうかと思います。
人殺しまでいかなくとも、人の足を引っ張たり、悪口を言ったり、あるいは愚痴や怒り、恨みつらみの暗い人生では人として生を受けた値打ちがないなぁと思います。
やはり明るく、周囲の人のために一生懸命頑張ったと言える人生で終焉を迎えたいと思います。
利己心を抑えれば利他心が心の中で増えていくそうです。
つまり心が浄化されていくわけです。
どこまで自分ができるかわかりませんが、私心を排し、足るを知り、トップとして社員の皆さんとその家族のため、最終的には社会のために頑張って人生の終焉を迎えたいと最近強く思うようになりました。


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