素直な心

最近、素直な心って奥が深いなぁと思うようになりました。
謙虚な姿勢や反省する日々を過ごすにも通じる重要な項目なのですが、昨今のブームの「ありのままに」という風潮に接して、どうなんだろうかと思ったのです。
素直に自分をさらけ出せ、自分の思いに蓋をするな等々、ナチュラルな自分がもてはやされています。
なんか違うなぁと思います。
感情のおもむくままになんでもさらけだせば、その瞬間はスカッとするかもしれませんが、みんながみんなそんなことをすれば、ただの感情がぶつかり合うだけでギスギスした社会になってしまいます。
少なくとも稲盛さんが言っている素直さとは、自分の思いを吐き出せというよりは、受動的と言いますか、他者からの指摘や耳の痛い言葉でも素直に受け入れなさいよという意味だと思います。
フィロソフィにも本音でぶつかれという項目がありますが、だからと言って我欲や利己に凝り固まった思いを、誰にでもぶつけよという意味ではありません。
相手のことを思って、あるいは正義のために本音を語るということだと思います。

素直な心を読むといつも思い出すのは中村天風の話です。
重い結核に苦しむ天風は世界を放浪するわけですが、どの国の治療でも病は良くならずあきらめて日本で死のうと帰路につきます。
その途中、エジプトの客船の待合室でヨガの達人・カリアッパに出逢い、言われるままにインドの山奥について行きます。
しかし、3か月間たってもカリアッパは天風に何も教えようとはしません。
しびれを切らして天風は教えを請います。
するとカリアッパは水がいっぱいに入った瓶にお湯を注いでみなさいと命じます。
天風さんがその様な事をすればお湯も水もこぼれてしまうのは当たり前だと言うとカリアッパ先生は「お前の心にはその様に余分なものがいっぱい入っている。
その上に私がいくら教えてあげてもそれは少しも教えにならないだろう」と言うのです。
天風さんはその場ですぐにそうだったとわかられたそうでそれから教えが始まり、稀代の思想家中村天風が生まれたのです。

心の中の余分なものってなんでしょうか。
物欲への執着心、見栄やひがみ、妬み、まさに三毒の煩悩です。
自分のことしか考えず、欲に目がくらんでいる人にいくら教えを説いても入るはずがありません。
素直とは、知らない、わからないことに対して否定したり批判したり反発しないで、自分のできる事から取り組んでみるという姿勢です。
心の中の余分なものを捨て去らないとこれができません。
素直になるためには1、自然である、2、謙虚である、3、こだわらない(執着しない)、この3つだそうです。
特に3番目のこだわらないという事が大事で、例えばこれを受け入れば自分が負けを認めたことになるとか、面子が保てないとか、実にくだらない自己顕示欲に縛られないことです。
その意味ではデイベートという言葉がありますが、論理性をつけるという意味はあるかもしれませんが、一歩間違えば傲慢になる訓練をしているようなものだと思います。
また、中世より前の人類は無知ではあったかもしれませんが素直であったろうと思います。
それは自然のパワーを常に感じ、自然や天に対する畏敬の念を常に抱き、よって謙虚に人間の弱さを知ることができました。
現代社会は科学で自然を克服できると思い上がり、学校ではデイベートの訓練を受け、人から素直さを取り、傲慢さを植え付ける環境に満ちています。
それだけ素直な心を持つ人は希少価値が高く、貴重な存在となることができます。
他者からの信頼を勝ち得る大事な要素、それが素直な心なのだと思います。
ちょうど目下、新入社員研修中ですが、どうか素直に研修を受け止めていただきたいと思います。
そうすれば周囲の信頼も得られますし、成長も早まります。
さらには先輩社員以上に人として成長することも十分可能です。
どうか頑張ってください。


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