人には幸せに生きる義務がある

今現在、自分を幸せだと思う人、それとも不幸せだと思う人、そう問われて皆さん心の中でどう思われたでしょうか。
稲盛塾長は次のように言っています。
「人は誰であれ、幸せに生きる義務があります。権利ではなく義務です。もし幸せな人生を送っていないのだとすれば、それはその人が幸せに生きる努力をしていないからです。」
なんと厳しい大善の言葉だと、最初に聞いた時、絶句してしまいました。
幸せに生きる権利があるとか、幸せになる権利があるとはよく言われます。
幸せに生きる義務があるという人はなかなかいません。
でも塾長の言葉に触れてから、つくづくそうだなぁ、これは権利ではなく義務だと私も思うようになりました。

まず思い出したのは、生きがいの創造で書かれていた「どんな障害を持って生まれようとも人には生まれて来た使命がある」という言葉です。
人を不幸にせよとか、不幸せに生きなさいなんて使命はないと思います。
稲盛塾長が言うように人の心の奥底には塾長が”真我”と呼ばれた美しい高次元の自我があり、それを生きているうちに少しでも開かせて美しい心になって死を迎えることが人としての使命であると思います。
死ぬ間際に、自分なりによくやった、人様や社会のために少しはお役にもたてたし幸せな人生だったと締めくくりたいものです。
それが逆に、生まれてきた時より死んだ時の方が心根が低いとすればそれこそなんのための人生だったのでしょうか。
身体は赤ちゃんから成長したかもしれないけど、心は成長していない、それどころか悪くなっている。
それでは仮に金銭面や地位は立派であっても私には幸せとは思えません。

私は幸せというものは、人と比較するものでも、人から言われるものでもなく、自分自身が心から幸せだと思える、そういう感性を身に付けられた人が幸せなのだと思っています。
実のところ幸せか不幸かは自分が決めているのです。
そして多くの人は自分にはあれが足りない、これが足りない、誰も自分をわかってくれない、こんな環境に生まれて不幸だ、もっと美しく・もっとかっこよく・もっと頭よく生まれれば等々、上げれば切りがないほどの自分の欲に身を焦がし、周囲との身勝手な比較でもがき苦しむのです。
まさに三毒の煩悩なのです。

もう一度言いますが、私達には幸せに生きなければならない義務があるのです。
その言葉に真正面から向き合わなければなりません。
幸せになる努力をしなければなりません。
そしてその答えはフィロソフィの中にこそあるのです。
今朝のフィロソフィは心をベースとして経営するです。


システム研究所
お客さまのために、社員のために。
ソフト開発、ホームページ制作、パソコンサポート、パソコン教室 などITを通して喜びを提供する企業
株式会社システム研究所

i-通販
ネットショップの受注管理や送り状の通販システムでお困りの皆様。
i-通販(アイツーハン)は、操作ラクラク、業界最安値、無料キャンペーン実施中。
クラウド対応なので即日利用可能、多彩なシステム連携、カスタマイズOK!
電話サポート無料対応。

カテゴリー: ブログ   パーマリンク

コメントは受け付けていません。