8回目の3.11に思う

昨日は、東日本大震災から8回目の3月11日でした。
あのすさまじいばかりの自然の破壊力とその前での人間のなすすべのない無力感、そしてまるで人間の傲慢さをあざ笑うかのような福島原発の無残な姿。
忘れようとしても忘れられない悪夢のような光景が今も目に浮かびます。
あの震災で多くの盛和塾生が被災しました。
機関紙でもそのことが取り上げられ、その後、稲盛塾長も被災地に入られました。

一方で当社は東京のYさんとしばらく連絡が取れず本当にやきもきしました。
後から聞けばホテルの38階に閉じ込められ、大揺れの中で巨大なシャンデリアが落下したりと生きた心地がしなかったとのことでした。
その後、当社は東京での展開しようとしてたサイネイジ関連のビジネスの目途が立たなくなり、東京支店は大幅な縮小に至り、それに起因してその期に当社は初の赤字決算を計上しました。
当社にとっても大きな試練を与えてくれた大震災であり、私にとっては忘れようとしても忘れられない教訓です。
当社だけで言えば、ある意味その程度の被害で済んだともいえるわけですが、ある福島の盛和塾生は機関誌に次のような言葉を寄せています。
「”無常”だからこそ”強烈な願望”をもって今日を精一杯生きて行きたい。
多くの方が命を失った中、この命があることに感謝し、世のため人のために役立てるべく精一杯生きていきます」
この塾生は会社は危険避難区域に今もあり、文字通りすべてを失いました。
それでも強烈な願望をもって精一杯生きていく、さらには世のため人のために頑張ると誓っているのです。
世の中何があるかわかりません。
明日は我が身です。

私はいつも思うのですが、人は逆境においてこそその真価が試される。
いい時は誰だっていいのです。
問題は厳しい試練が我が身に降りかかってきた時です。
気の弱い人はパニックに陥り自分を見失い、生きる気力を亡くします。
決して非難するつもりではありませんが、震災での直接命を失った方より、その後の自殺や孤独死の方が多いのは、人の持つ精神的な弱さの現れだと思います。
人の心は元来もろい、でも鍛えれば強靭な心へとも変わります。
それはその人自身がどんな願望を持ち、それを信念としているかによります。
同時にその強弱とその成否は、その願望が利他的か利己的かによっても大きく変わります。
子供を亡くした親御さんの悲しみや悔やみがなかなか消せないのはよくわかるのですが、亡くなった子供の分も自分は生きて、天国で子供と再会できた時にいい人生を送れたよと言えるように頑張ろうとか、他人が口で言うのは簡単だと批判を受けるかもしれませんが、そう思い込んで生きていくしかないのではないかと、震災の特番をテレビで見ながらそう思いました。

当然ながらこのような信念のような思いというのは急に思いついてなんとかなるたぐいのもではないかもしれません。
日ごろから自分は何がしたいのだ、どのような人間になりたいのだと思い続けていることが必要なような気がします。
さらに東北の震災の被災者ほどではなくとも誰にも必ず試練は訪れるのですから、その人の思いの強さがその人の人生のすべてを決めるような気がします。
試練を乗り越えられるかどうかもこれ次第なのです。
今朝のフィロソフィは潜在意識にまで透徹する強い持続した願望を持つです。


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