「きれいな心で願望を描く」のきれいな心の本質とは

『成功を持続させるためには、描く願望、情熱がきれいなものでなければなりません』
潜在意識にまで透徹するほどの強い願望でなければ実現しないのですが、一方でその質が問われるわけです。
利己的な汚れた願望では成功しても長くは続きません。
むしろ利己心が強ければ強いほど願望が実現した後の落ち方が強烈となってひどい目に会うことになります。

稲盛塾長は「本当は本能心を一切離れて人類のためにといった私心のない純粋な願望が望ましいが、人間が私利私欲を完全に払拭することは難しい」とした上で、「せめて自分のためではなく、集団のためにということに目的を置き換えるべきだ」と言われています。
それによって願望の純粋さが高まり、きれいな心で描く強烈な願望だから、天が叶えてくれるのだとも言われています。
もちろんその人のたゆまぬ努力も必要ですが、最終的にはつまり宇宙の意思と調和する状態に至るわけです。
そのように聞くと「きれいな心」とはなにか聖人君子というか、観音様、キリスト教で言えばマリア様のようなイメージが湧いてきますが、稲盛さんが説かれる本質はそんな甘いものではありません。
こんな例え話をされています。

「餓鬼道に落ちた悪人共と同じテーブルを囲んでいる。そこに天から饅頭がバサッと落ちてくる。その饅頭に向かって一斉に悪人達の手が伸びる。一旦手にしても横から奪い取られる。それどころか口に入れようとした瞬間にも横取りしようと手が伸びてくる。私も負けじと手を出すが理性で考えていたのでは遅れてしまう。ほとんど本能レベルまで速くしないと負けてしまう。私の後ろには饅頭を待っている多くの社員とその家族がいるのだ。自分のことしか考えていない連中に負けるわけにはいかない」

饅頭争奪戦に勝ち社員にそれを分け与えている様はマリア様のように見えるかもしれませんが、饅頭を取り合っている時はまさに仁王様のような憤怒の表情で頑張っているのです。
まさに燃える闘魂です。
きれいな心、利他の心と言えば何やら清らかな清々しい印象を持つ人もいるかもしれませんが、そんな甘いものではないわけです。
きれいな心だから儲けなくてもいいなんて稲盛さんは一言も言っていません。
むしろ逆です。

商人道(石田梅岩)に沿って公明正大に利益を追求せよ、従業員の幸福を実現し、社会貢献しなさいとの教えを実現するためには儲けなくては話になりません。
問題は饅頭を取り合う時に後ろに背負っているものが何かということです。
何も背負わず自分だけか、あるいはせいぜい自分の家族だけなのか。
自分だけより家族を背負う方がましかもしれませんが、それは動物でも背負っているものです。
そうではなくて集団、この場合は会社の仲間というわけですが、さらにお客様というように広げていくこと、利他の範囲を大きくしていくことが大切なのです。
広げていった人が饅頭取り合い合戦の真の勝利者となる資格を持つのです。
トップの私は文字通り、その争奪戦のトップに立つわけですが、各リーダーもチーム員を背負っているわけですから私同様気は抜けません。

一方でそうした苦労を慮ってチーム員の方々は取ってきた饅頭を渾身の思いを込めて料理しなければなりません。
利他やきれいな心ということを単なる譲り合いや奥ゆかしい態度、ましてただのえいかっこしいなどと勘違いしてはなりません。
争奪戦に勝たなければその集団は結局、衰退没落して、利他どころの話ではなくなってしまいます。
きれいな心とは仁王様のような強さも併せ持つものでなければならないのです。
そのことを決して忘れてはなりません。

今朝のフィロソフィは「きれいな心で願望を描く」です。


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