共に生きるということ

最近の異常とも思える災害続き、日本だけはありません。
地球全体で起きていますが、私には地球が悲鳴を上げているようにも思えます。

『皆がうまく調和して生きているこの自然界の中で、自分だけよければいい、自分だけ生きていければいいという考え方では、必ず周囲との摩擦が起きます。動機が不純で自分だけが良ければいいという私心だけの人がいたのでは、この自然界では生きていけないのです。』

稲盛塾長はそのようにいつも勉強会で言われ、足るを知る大切さを力説されていました。
人間だけが上手く生きていけばいい、さらには自分の国だけが発展すればいいという身勝手な欲望が世界を支配しており、そのしっぺ返しを受けているような気がしてなりません。
このままいけば人類が地球を支配する時代は案外短いかもしれません。

一方で、調和が必要だ、皆が共生していかなければいけないと言うと、自分の欲求をなんでも取り下げたり、他人に譲ったりすることだと勘違いする人もいますが、これも大きな間違いです。
塾長は次のようにも言われています。

『あらゆる自然界を見てもみんなと一緒になって生きなければという思いやりだけでボケっと生きている生物は一つもありません。みんな自分自身が生きるのに必死です。共生とは必死で生きていくことを言うのです。必死で生きるその中にこそ調和があるのです』

逆に言えば真面目に必死で生きている人が共生の必要性を言えることができるのです。
人に譲ることが共生だと勘違いしてはいけません。
これは小善にすぎません。
また、足るを知るということをなんでも欲望を抑えるとか、なんでも我慢するという意味ではないと私は思っています。
今ある現状に決して不満や愚痴を募らせるのではなく感謝すること、受け入れることが大切であり、その上で自分の生活向上を目指して頑張ることはなんら恥ることはありません。
物心両面の幸せ追及とはまさにそのことです。
問題はいつしか感謝の心も消えて、富を独り占めしよう、自分の家族だけがよければいいんだと思い出すこと、これが強欲であり、利己なわけです。
企業も同じです。
法を守り、公明正大に利益を追求して、正々堂々と闘う。それでいて三方よしという正義を守っている。
このような企業が社会と共生して生き抜いていくことができるのです。
共に生きていくということを次のように稲盛さんは総括されています。

『生きるということは厳しいものです。さまざまな重圧がかかります。障害があり、厳しい環境に追い込まれます。その中でそれをポジテイブ明るく受け止めて、その厳しさが今日の私をつくってくれたと感謝する。そういう生き方が共生なのです。』

今朝のフィロソフィは「パートナーシィップを重視する」です。


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