人は皆同じ、驕ってはならない

稲盛さんはよく言われています。
私は経営の才があったのかもしれないが、それはたまたま私が授かっただけのことであり、別に京セラの社長は私でなくともよかったのだ、と。
誰でも自分の意志でもってこのような才能が欲しい、このような容姿が欲しいと願って生まれてきたわけではありません。
そのような人は一人もいません。
ですから才能や容姿は偶然頂戴したしたものにすぎないわけです。

多様性という言葉が流行りですが、見た目の能力や才能、容姿に違いはあっても人の本質は同じものなのだと稲盛さんは言われます。
したがって成功をもたらした自分の才能そのものが、実は自分のものではないのだと仮定するなら、どのような成功を収めようとも決して驕るようなことがあってはならず、常に謙虚であらねばならないというのが稲盛さんの結論です。
自分のものでもないのに、俺は才能がある、能力がある、スポーツで言えば運動神経が抜群とか、自慢げにうそぶけばその才能を与えてくれた神様から強烈なしっぺ返しが来るのだと私は思います。
また、成功するしないにかかわらず、人を自分より下に見たり、馬鹿にしたりするのも同じ事でしょう。
傲慢であるということは、人が等しく存在しているということの否定であり、この宇宙の原理原則に逆らう行為なのだと思います。
だから傲慢な人は必ず転落していくのです。

今期、人事で昇格した人たち、あるいは定期昇給以外に昇給した人も、確かに頑張ったからそのような評価になったわけですが、自分は他の人より優秀だとか、能力が高いのだと勘違いしてはならないのです。
神様から見れば別にそれはあなたでなくてもよかったのです。
たまたまのことなのです。
絶対に自分の才能を自分のものと思ってはならないのです。

私も自分の傲慢さが顔を出しそうになるのを必死で抑えています。
時にポロリと失敗することも多々ありますが、私は文字通り会社ではトップなので社長業とはある意味自分の傲慢さとの闘いでもあると思う時すらあります。
上に立つほど謙虚にして驕らず、己の才能を世のため人のために役立てようと自分に言い聞かせ、努力を続けなければならないのです。
その謙虚な姿勢こそが自分自身の人生を輝くものにしてくれるのです。
どんなにラッキーな人がうらやむような人生を送っていた人でも、傲慢になれば、女神は自分の手の中からするりと抜け落ち、転落していくのです。
今朝のフィロソフィは常に謙虚であらねばならないです。


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