能力が高かろうが低かろうが人生に楽な道はない

稲盛さんは能力が高い人がフィロソフィを身に付ければ鬼に金棒だとよく言われていました。
フィロソフィを血肉化できれば人間性が高まります。
高い能力に高い人間性がプラスされるのですから確かに盤石な人生となるでしょう。
では、能力の低い人はフィロソフィを身に付けても変わらないのか。
確かにフィロソフィを身に付けたからと言って能力が上がるわけではありません。
人間性と能力は別物です。

ただ、私は思うのですが、例え能力が低くてもフィロソフィを身に付ければ考え方が変わってきます。
考え方が変わればその人の熱意も変わってきます。
周囲のために頑張ろうとか、社会に貢献しようとか利他的な向上心が芽生え、やる気がわいてきます。
地味な努力にも耐えていけます。
そうした努力は少しづつその人の成果も高めて行ってくれます。
あるいは周囲の応援も得られるようになってきます。
私はこれが大きいと思います。
能力の高さにあぐらをかく人はやがて周囲の応援が得られなくなってきます。
周囲の応援を引きつけるのがその人の人間性なのです。
これがフィロソフィのパワーです。
しかも周囲の応援だけでなく、最終的には天の力、運まで引きつけてくれます。
稲盛さんがフィロソフィは天下無敵と言われたのはそういうことだと私は思います。

もちろん能力の高い人がフィロソフィのパワーが理解できれば、まさに鬼に金棒で、能力が劣る人から見れば羨ましい限りです。
しかし、能力に劣る人でも腐る必要はありません。
もちろん能力が低いのに、人間性も低くてもいいのだと開き直って考える人は論外ですが、私のこれまでつたない見聞ですが、どうしても能力の高い人は傲慢になりがちで、なまじ能力が高いばかりに常にフィロソフィを意識する必要があり、大きな葛藤を抱えるながらの人生となります。
案外、本人は楽でもないと思いますよ。
結局、人生という坂道を一足飛びに頂上に運んでくれる竹コプターのような便利なものは存在しないのだと思います。
能力に恵まれた人は決してそのことに安住しないと自らに言い聞かせ、能力で劣る人はそのことを自ら自覚して考え方を改め、毎日の努力を重ねていく。
結局、そういうことなのだろうと思います。
今朝のフィロソフィは地味な努力を積み重ねるです。


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