柔道は「JUDO」なのか!?

ロンドンオリンピックですが、私は格闘技が好きで五輪では柔道をよく見ています。
その柔道ですが、序盤戦では金メダル一個に止まっています(7月31日現在)
当初、金メダルが有力視されていた男女柔道の軽量級2クラスで一つも金メダルが取れなかったことが大きく影響しています。
柔道を見ていて思ったのですが、日本の選手は金メダルを意識し過ぎではないでしょうか。
もちろん世界選手権王者だったり、世界ランク上位の日本人選手が金メダルを目標にするのはわかります。
でも、「金以外はメダルじゃない」と言った発言を聞くと違和感を覚えます。

例えば、前回五輪で銅メダルや銀メダルの選手が次は金だとメダルの色にこだわるのならわかります。
でも、北京五輪で一回戦敗退したり、銅メダルにも届いていない選手が「金メダルでないとダメだ」みたいな感じでまなじりを決している姿は私には不遜に見えてしまいます。
その上、なんか悲壮感すら漂い、緊張感がこちらまで伝わってきます。
オリンピックには魔物が住むとまで言われる大舞台において、「金メダルじゃないとダメだ」論は、自分でプレッシャーの墓穴をほっているように見えます。

国内でどんなに強くとも、世界選手権で活躍しようとも、五輪で実績のない選手は「お前は挑戦者だ、謙虚にひたすらしゃにむに戦え」とコーチは指導すべきではないでしょうか。
金メダルが当然とするコーチやマスコミも含めた選手の周りの雰囲気も異様です。
もちろん高い志を持つことは大事ですが、目標と目的を取り違えるととんでもないことになりがちです。

目標は金メダルでいいにしても、目的は柔道を通して選手それぞれの思いや夢があるはずです。
会社の経営でも経常利益率10%達成というのは目標ではあっても、目的、つまり会社という組織の価値ではありません。
利益率達成に目的を置いてしまうと、そのために何をやっても許される社風を生み、やがて社会から非難を浴びるような大きな不祥事へと展開しかねません。
したがって金メダルが取れなくても、その選手の目的(価値)は依然として存在続けるし、銅メダルで終わった人は次は銀以上という明確な目標を得たと感謝し、喜べばいいと私は思います。
指導者達やマスコミが、若い選手に必要以上のプレッシャーを与え押し潰しているようにすら私には見えます。

関係者の努力が報われ、今や世界中に柔道は広まり、JUDOは日本固有のスポーツではなくなり、まさに世界のJUDOなのです

格闘技の柔道から、ポイント制のスポーツ競技JUDOになったのです。
美しい投げ技で一本を取るのが柔道の魅力ですが、外国人選手の戦い方は、そんなきれいごとの柔道ではない感じがします。
かけ逃げや、組み手が不利なら自ら先に倒れてしまう、場外に出てしまう。
投げられ方もホールを逃れるレスリングの選手のようなひねりやブリッジでかわす。
北京五輪の時などは、いきなり足タックルする選手がいて、「おい、おい、レスリングとちゃうやろ」なんて思ったものです。

正しい柔道を世界にアピールしたいという日本柔道界の思いはわかるのですが、そのために選手に必要以上のプレッシャーをかけ、潰してしまってはなんの意味もありません。

昨夜、女子柔道57キロ級で金沢出身の松本選手がみごと初の金メダルをもたらしました。
これまでの選手と違い、闘争心をむき出しに、がむしゃらに前に出るタイプです。
下馬評の高かったその前の2階級の選手たちに比べて松本選手はJUDOをしていたと素人の私にはそう見えました。

この先も日本の柔道がオリンピックへの参加を続けていくのであれば、そして金メダルにこだわるのであれば、柔道をJUDOとして受け入れて筋力トレーニングなどの身体能力の強化方法を見直したり、外国人選手のようなうまい投げられ方・倒れ方を練習したり、そしてなにより北京五輪の時の女子ソフトボールチームや水泳競技のように、精神的に弱い選手達のメンタルトレーニング導入など科学的な新たな育成体制に取り組んだ方がいいと思います。

日々工夫、チェンジする努力も必要なのです。
素人が生意気なことを言っていることを百も承知の上で、ロンドン五輪の柔道の序盤戦を見た私の勝手な感想を今週の卓話としました。


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