世界に誇れる郷土の偉人・橋本左内

本日は節分でした。
この時期、福井市内の中学校では中学2年生を対象に立志式を行うのが慣例です。
これは郷土の偉人・橋本左内が15歳で元服を迎えるにあたり、その心構え説いた啓発録に由来します。

「啓発録」は「稚心をされ」から始まるのですが、15歳といっても数え歳ですから14歳です。
まだ子供ですよね。
それが幼き心を捨てよと言い切るわけですからすごいです。
左内はその優秀な頭脳からすぐに頭角を現し、21歳の若さで松平春嶽の補佐的な役職に着き幕末にその名をとどらかせますが、安政の大獄で捕まり、若干26歳で処刑されてしまいます。
春嶽は激動の幕末を生きた福井藩の名君で、坂本龍馬の後ろ盾になったことでも知られますが、左内は越前にその人ありと言われ、西郷隆盛と共に一橋派の精神的な支柱となります。
当時西郷を持ってして「左内を尊敬する」とまで言わしめています。
左内の罪自体はたしたことはなかたようですが、彼のあまりの頭脳の鋭さと人望の高さに脅威の念を感じた井伊直弼が後顧の憂いを絶ったという説が有力です。
ある人から聞いたのですが、当時、日本が進むべき外交戦略を左内がまとめているそうです。
それによると弱小日本は単独で列強諸外国と対抗していくのは難しく、いずれの強国と同盟関係を結んで国を守っていくしかない。
問題はその相手だが、いずれ太平洋の南下を目指すロシアと北上を目指すイギリスがぶつかる。
その際、日本は隣国のよしみでロシアと同盟を結ぶのが良いのではないかーと、左内は結論づけていたそうです。

50年後に佐内が予想した通りになります。
日本が同盟を結んだのはロシアではなくイギリスではありましたが、日英同盟をバックに日本は日露戦争に臨み、見事勝利を得て、先進国の仲間入りを果たすことになるわけですが、改めて左内の先見の明には感心するばかりです。
鎖国を解いたばかりの、世界から取り残されていた日本の、しかも福井にあって半世紀後の外交戦略を見通していたというのは驚愕に値しますし、左内の優秀さを証明していると言えます。

当時、左内の死を最も惜しんだのが西郷隆盛で彼は西南の役で死にますが、最後まで肌身離さず持っていた革袋の中には左内からの手紙が入っていたとのことです。
左内が処刑されてもなお2人は厚い友情で結ばれていました。
安政の大獄で処刑されずに生きていればどれだけの功績を遺したか計り知れないと思い、残念でなりません。
それだけの人物だった左内ですが、小さい時には自分のことを次のように卑下しています。
「自分は何をしてもおろそかで、注意が行き届かず、しかも弱々しくてぬるい性格であるため、いくら勉強しても進歩がないように思う。
これではとても父母の思いに応え、藩や主君のお役に立ち、祖先の名を輝かすような人間になれるはずもない。
一体自分はどうしてこんなに駄目なんだろう。
そう思うと情けなくてたまらず、毎晩涙で布団を濡らした・・・」
深く自分を恥じた佐内は15歳の時、決意を固めます。
そして書き上げたのが『啓発録』です。
自分を変えようと左内なりに一念発起し、強く反省して稚心よ去れとまさに有言実行したのでしょう。
それもすべて父母のため、藩や主君のためであり、先祖の名を汚さないためにです。
それも中学二年生の若き身においてです。
最早、すごいとしか言いようがない。
私なんぞ、穴があったら入りたい。
今も郷土の偉人として尊敬され続けている理由がここにあります。
我々福井人も郷土の偉人にこのような立派な人がいたことを、大いに誇っていいのではないでしょうか。
同時に左内までは行かなくとも常にわが身を振り返り、幼稚な心を払拭し続けなければいけないと思います。
些末なことに心を奪われたり、大義を見失ったり、人をうらやんだり、ねたんだり、これらすべて幼稚な精神がもたらすものと、自分を戒める次第です。


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