明るく、礼儀正しい挨拶をする

今朝はシスケンフィロソフィの「明るく、礼儀正しい挨拶をする」を取り上げたいと思います。
多くの方は挨拶をすることを人のためだと思っています。
これは大きな間違いです。
挨拶をすることは自分の為でもあり、人の為でもあります。
ただし、明るく、かつ礼儀正しい、この2点を兼ね備えていなければなりません。
ただの流れ挨拶やがさつな挨拶ではこれは挨拶とは言いません。
まず自分のためになるのはシスケン手帳にも書いてあるように明るく、礼儀正しい挨拶ができる人はそれだけでもその人の人柄を好印象にさせます。
「挨拶は身を守る鎧である」というのもそのことです。

では、他人に対する効用は何か。
単に相手が気持ちがいいという単純なこと以上に重みがあるように思います。
御釈迦さんの教えに七施の布施というのがあります。
布施とは御釈迦さんが説いた典型的な利他の行為です。
布施というとすぐに浮かぶのはお寺に渡すお布施というようにお金がかかるというのが一般的な印象で、お布施と聞くだけでしかめっ面をする人がいるのはそのためです。
しかし、御釈迦様は布施にも7種類あって、私達が知っているお金を出すというのは”財施”であると説いています。
面白いのは明るい挨拶も立派な布施なのです。
これを和顔施と呼び、挨拶はもちろん明るい穏やかな表情で人に接する人はそれだけでも人を幸せにします。
明るくて穏やかな人は眼差しも必然的に優しくなるでしょう。
これを眼施と言います。
礼儀正しく挨拶を身をもって示すことができる人は模範的な行動を身をもって実践している人ですからこれは御釈迦様の言うところの身施に通じます。
つまり明るく、礼儀正しい挨拶は7つの布施のうち3つに通じるわけです。
しかもなんのお金もいりません。
労力もいりません。
ただ、和やかに明るい表情で挨拶をしたり、礼儀正しく分離礼をすればいい。
コストゼロで、しかも自分の印象が数段よくなりますから周囲に人が集まります。
美男子や美人だからと言ってももてるわけではないのはこれが和顔施や眼施が大きく左右しているからです。
明るく、礼儀正しい挨拶、さらには和やかな表情はもっとも簡単にできる利他であり、自利でもあるのです。

逆に人は眼でも口でも人殺しができます。
表情だけで人を傷つけることができます。
表情一つで仏にも鬼にもなるのが私達人間です。
お金はなくとも、立派な地位はなくとも、人様のお役に立つことはできるのです。
それはそのまま自分に跳ね返っても来ます。
どうか明るい、礼儀正しい挨拶を習慣化する意義は深いのだということをこれを機会にみんなで噛みしめ、社員一同で実践していければと思います。


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