リーダーの資質とフィロソフィ輪読の意義

稲盛塾長はリーダーの条件として次のように言っています。
「多くの人々を率いるリーダーは報酬のためではなく、使命感をもって、自己犠牲も問わない高潔な人格を持っていなければならない」
耳の痛い指摘ですが、そうだろうと私も思います。
リーダーが自分の部下の人達のことを考えず、自分の報酬や地位のために動いている人であればどう思いますか。
そんな利己的な人には付いていきたくはありません。

私自身を振り返ってみると、とてもまだまだなのですが、元々、金銭欲がそれほど強いタイプではなかったので多少はありましたが報酬のために今の会社をつくったわけではありません。
県の情報センターにいた時に、私がたまたま県内中小企業の情報化を進める担当になり、今ならIT化というんでしょうけどね。
当時のベンダーさん達がパソコンでいいのに大型機を売っている、まるで私には軽トラックでいいのに大型ダンプを売っているように見えて、その義憤でソフト技術者でもなかったのにこの会社を設立しました。
今から思えば嘘みたいですが、当時のベンダーさんからパソコンなんかで食えるわけないからうちの代理店になんねとよく言われたもんです。
それなりに使命感を持っての創業だったので、そのような誘いにふらつくことはなかったですね。
自己犠牲という面では、今特別に自分に犠牲を強いているわけではありませんが、自己犠牲というかトップとしての覚悟を問われたら、例えば神様に会社の永年存続と社員とその家族の幸せを約束するから命差し出せと言われたらOKするでしょうね。
腹切れとか、首釣れとか痛いのは勘弁ですが。
問題は最後の高潔な人格です。
これはまったくダメだと自分でもわかっています。
酒や美味いものに目がないし、その意味では足るを知っていないし、女性にも弱いし、要らぬ負けず嫌いが災いして損をしたり、人に迷惑をかけたり、短気ころもまだまだ治ってないし等々で自分で自分が情けなくなる。

これに関して塾長は次のように日頃の鍛錬を勧めています。
「人間としての正しい生き方を繰り返して学び、常に理性の中に押しとどめるように努力することだ。スポーツマンが毎日鍛錬しなければ肉体を維持できないように心の手入れを怠ると経営者も堕落してしまう」
スポーツマンと一緒で、毎日訓練しなさい、一生懸命仕事をして精進して、我が身の至らなさ、利己的欲を理性で抑えなさいと言っているわけです。
実は私達がこうして毎日朝礼でフィロソフィの感想を述べあうのもこの鍛錬なのだと私は思っています。
毎日毎日、同じことをわかった勘弁してくれと思っている人もいるでしょう。
でもわかっていることとできていることは別なのです。
出来ている人は、あるいはそう在りたいと思っている人は同じ話を聞いてもなんとなく心地よくなるのものなのです。
あるいは同じ話を聞いても新たな気付きを得てなるほどなぁと思ってさらに成長していくのです。
だから勘弁して欲しいなぁって心の中でつぶやいた人は実は少しもわかっていないのです。
だから耳にタコができるまでやらなければならないのです。
というわけで、今朝のシスケンフィロソフィは最後の項目、社内におけるフィロソフィ輪読の意義です。


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