人としての喜びを考える

喜びには3段階ある、私がよく話をさせていただく喜び論です。
一段階目はしてもらえる喜び、おっぱいをもらって赤ちゃんが喜ぶ。
第二段階は幼児が大人と同じように歩けるようになって喜ぶ、これはできる喜びです。
第三段階は自分が立っちできるようになったことに喜んでいる親の姿を見て自分まで嬉しくなってくる、これが喜ばれる喜びです。
2段階目までは動物でも感じることのできる喜びですが、喜ばれる喜びは人間固有の喜びです。
相手に何かしてあげて喜ばれて自分も喜ぶわけですから、人間としての本質は基本的には利他であり、利己の段階までは動物、利他になって初めて人としての領域に入ったと言えるのかもしれません。

ここまではこれまでの私の理解でしたが、塾長から富永光学の再建を任され、見事成し遂げた福永正三さんの言葉の中に、はっとした気付きがありました。
それは、「本当の喜びはしてもらうことよりも、してあげることにあるのです。さらに言えばしてあげる喜びよりも、させていただける喜びを実感することが大切なのです。例えば掃除をするのではなく、掃除をさせてもらえるというように考える」
そうかと、思いました。
喜ばれる喜びがさらに発展して、喜んでいただいたと感謝する喜びに昇華するわけです。
稲盛さんを見ていていつも思うのは、なんで塾長はこんな縁もゆかりもない自分のようなできの悪い経営者のために老骨に鞭打って講話をしてくれるのだろうか、自分ならとてもできん、申し訳なくて頭が下がるということです。
そしていつも清々しい気分にさせていただきます。
それは塾長の姿勢に講話をしてあげる、経営たるものを教えてあげるという上から目線は少しもないからだと気付いたのです。
それは8年近くも前に福井で塾長が海水浴を楽しんだ時、責任者だった私が塾長のおそばに仕えて見守らせていただいていた時に感じたことなのです。
その時から私の盛和塾活動が変わったのです。
心底相手のことを思い、かつ話をさせていいただいているという謙虚な姿勢が感動と感謝を呼ぶのです。
喜ばれる喜びも、ありがたいなぁ喜んでもらってという謙虚な姿勢が加わればもう一段階高い極みへと到達するのです。

今度、県内の児童養護施設に社員の有志の方々を募ってパソコンを設置しにいこうと思っています。
その時大切なことは私達が奉仕をさせていただくのだという謙虚な姿勢です。
彼らは確かに親から見捨てられたり、虐待された子供たちかもしれませんが、立派に生きています。
私達の助けなんかなくとも素晴らしい人生を歩むことだと思います。
だから私達は奉仕活動をさせていただく立場でしかありません。
そして私達が喜んでいただけたと心から感謝し、私達自身が喜びに浸れる場となるのです。
利他の真理がそこあります。
だから自利利他なのです。
それはそれを体験した者にしかわからない感動なのです。
必ずそれは人生における貴重な体験として皆さんの心に残ると思います。


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