誉めて伸ばすは間違っているの?

稲盛塾長には私はどれほど感謝しても感謝しきれないと思っています。
人生の晩年に差し掛かって、稲盛哲学に触れ、決して自分のものにはなっていないかもしれないけれど、少しでも稲盛哲学を実践したい、少しでも塾長に近づきたいとの思いで学んできました。
もし稲盛哲学に出会ってなかったら自分はどうなっていただろうかと思うだけでぞっとします。
もちろん今の私自身たいした男でもないし、至らぬ点だらけだけど、10年前と比べればちょっとは成長したかなぁとは思います。
毎朝、仏壇の前で祈りと感謝の言葉を捧げていますが、いつの頃からか最後に「稲盛塾長ありがとうございます」という言葉を言うように習慣づきました。
とにかく塾長には私は感謝しかありません。
そして今私が何が悔しいかと言えば、自分の甘さ故に塾長の恩に報いるような結果を未だ出せずにいるというただその一点だけです。

稲盛塾長から数々のことを学びましたが、これまでの自分の常識がひっくり返るようなことも多々ありました。
その一つが「人の長所を伸ばせばいいというのは聞こえはいいが基本的には間違っている」というものです。
欠点を指摘せずに良い点を誉めて個性の伸長をさせよなんてよく言われますが塾長は褒めるのがダメとは言っていませんが、その人が持つ短所をそのままにして仮にその人が重要なポストに就くようになれば、その人の持つ短所故に大きな失敗をし、ましてや組織のトップともなればその組織そのものも命取りになりかねないと言われています。
確かに言われてみればそうなのです。

仕事ができる優秀な人、人格的にも問題はない、ただお金だけにルーズという人がトップになり、会社の財布も自分の財布も境がなく、業者から接待を受けることもお構いなしなんてことになればその会社は信用をなくし、下手したら刑事事件に発展するかもしれません。
明るくてポジテイブなのはいいが、何事にも雑ぱくな人が責任ある立場に就いていい加減な契約を結んだばかりに会社が大損してしまった。
仕事はバリバリできるが、短気な性格で部下を怒鳴り散らして、精神的におかしくしてしまったとか、逆に人が良くて思いやりがあって、でも下に甘いという上司がいれば、下はこれ幸いと楽を覚え、結局、どちらのタイプでも下の人は育ちません。
頭脳明晰で知恵が回るし弁も立つ、でも人間性に問題があって時々悪知恵も回して保身を図るという人は仕事ができても信用はされません。
いい人なんだけど酒癖だけが悪いなんていうのもよくある話です。
例を挙げればきりがないくらいです。
個性と、人としての短所をはき違えて、短所をそのままにすれば、結局、その人も周りも大変な目に会うことになるのです。

学校の先生やスポーツの指導者の方が良いところを誉めて伸ばそうというのはありかもしれませんが、社会人教育としてはそれだけではダメなのだと思います。
社会に出て歳を取れば必然的に立場は変わりますし、家庭を持てば子供を育てなければなりません。
短所に目をつぶっていてはその人自身が苦労するだけなのです。
「だから組織である程度の地位に就く人の場合は、人格的にはパーフェクトを目指さなければならない」と塾長は言われるわけです。
もちろんパーフェクトな人なんているわけはありません。
塾長ももちろんそれは理解された上で、でもそれを目指そうとする思いが大切だ、上に立つ人の心構えだと言っているわけです。
このことを教えていただいた時、本当に衝撃を覚えましたし、その後私はじっくりと自分を見つめ直しました。
ここがダメだな、こんな悪い点もあるよな、未だに悪癖が残っているよなぁと欠点ばかりに気が行き、反省しかありませんでした。
その反省は今も続いています。
当たり前ですがパーフェクトにはなっていないからです。

今朝のフィロソフィは「常に反省ある人生を心がける」です。


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