何故、哲学を学び、ベクトルを合わせなければいけないのか。

今さら言うまでもありませんが当社はITシステムの制作会社です。
受託システムからホームページ、Webシステムまで広範囲にわたります。
動かすハードはコンピュータであったり、パソコン、スマホだったりします。
動作したり、制御したりするプログラムもハードも、それ自体は無機質であり、人格を持つものでもありません。

しかし、ITに限らず、製造業つまりメーカーというのは、無機質なものに機能を持たせ、まったく違うものに仕立て上げるという共通性があると思います。
さらにその製品が素晴らしいと言われるものは、単に使い勝手がいいとか多機能でデザインがいいというだけではなく、まるで生活のパートナーのような感覚を持ったり、生活になくてはならない、欠かせないもの、精神的なゆとりを感じるものだったりするものではないでしょうか。
そのことを稲盛塾長は次のように表現されています。

「ものづくりとは、無機質に魂を込める行為であり、魂が入らなければよい製品は生まれません。ものづくりにはそうした純粋な思い、あるいは哲学とも言えるようなものが必要ではないでしょうか」

何故、私達が共にシスケンフィロソフィを学び、ベクトルを合わせようとしているのか、その答えがこの言葉の中にあります。
なぜなら込める魂がバラバラであっては統一した品質を保つことはできませんし、すべてのお客様の満足を得ることにはなりません。
よくフィロソフィでベクトルを合わせるというと個性を阻害するかのように批判する人がいますがこれはまったくの間違いです。
フィロソフィは人として正しいことをベースにおいて、他者を思いやる利他的な心を身に付けようとすることですから、人として正しくないことは個性でもなんでもありません。

「ものづくりで大切なのは技術力だけではありません。そこに携わっている人の人格こそが製品の出来栄えを左右する重要な要素となります。そこには作り手の生き様が反映されるからです」

これも塾長の言葉です。
生き様が醜い人、つまり人として正しくない生き方をしている人の製品やサービスが人に感動を与えるようなものとなるはずもありません。
私達がフィロソフィを学び、ベクトルを合わせ、そして自分の心を磨いて人格を高めようしていることの意義はまさにそこにあるのです。
そして人生の大半を占める仕事に向かう時間がそのような意義あるものであれば、間違いなくその人の人生も意義のある素晴らしいものとなるはずです。

ある人が趣味や家庭に生きがいを求めたとします。
その人がそれに費やす時間はいかほどでしょうか。
趣味であれば仕事の時間の1割か2割でしょう。
生活のほとんどを占める仕事の時間をただの忍耐として耐え忍び、一時の趣味に発散してそれで充実した人生なのでしょうか。
趣味を否定しているのではありません。
私も趣味を持っています。
でも息抜きだと私は割り切っています。

では家庭はどうでしょうか。
趣味よりは家庭にかにかける時間は当然多いでしょうが、仕事に割く時間まではいかないと思います。
家庭が充実していることは素晴らしいことですが、私はやはり人生では仕事のウエートの方が高いと思っています。
私は家庭は大切にしているつもりですが、仕事は二の次とはならないわけです。

これはあくまで私の思いであり、押し付けるつもりもありませんし、仕事も家庭も充実しているのが当然望ましいのですが、何故、私が仕事の方を重視するかと言えば、稲盛さんが言われているように仕事はその仕事を通して自分の人格まで高めていくことがでるからです。
しかも家庭生活を維持する給料を得ながらです。
そして自分の分身とも言える製品やサービスを作り上げ、社会に貢献していくことができます。
さらに同じく仕事をしている職場の仲間が同じように互いに心を磨き、人格を高めていって互いにきれいな心と心で結ばれる会社になることができます。
そんな会社に居ればより充実した人生を送ることができると私は思います。
私自身の心のレベルもまだまだではありますが、そんな会社にしたいと強く願っています。

今朝の「フィロソフィはベクトルを合わせる」です。


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