役得ではない、役損だ

戦前から戦後にかけて官僚や実業家として活躍した白洲次郎という人が次のような言葉を残しています。
「上に立つ人間は損をしなければならない。役得ではなく、役損を考えよ」
言い得て妙だなぁと思いました。
役得を期待して役職に就けば、業者の接待や贈答を期待したり、組織の経費を無駄遣いしたり、果ては不正に手を出すようなことにもなりかねません。
最初から役得なんてない、むしろ役損だと思えば、変な期待を持ったり、悪いことをすることもないかもしれません。
でも、私は役損が結局、役得を生んでくれると思っています。

私が感じてきたことは、社長になって様々な苦労を背負い、こんなことなら会社なんか興すんじゃなかった何度も思いました。
そんな時、これだけ苦労するんだからこれぐらいの経費を会社に回しても罰は当たらんだろう、これぐらいのお歳暮やお中元ぐらいは受け取ってもいいだろう、自分で様々な理屈をつけて役得を得ていたことがありました。
しかし、稲盛哲学を学ぶようになり自分の使命・役割を自覚するようになってから徐々にですがそのような役得は恥ずべきことだと気が付くようになりました。
それは一見、立場や責任だけが重くなって損をしているような気になるかもしれませんが、そうではないのです。
部下のことを考える、会社のことを考える、みんなの物心両面の幸福実現のために日々の仕事に頑張ろうとする、まさにこれこそが利他行なのです。

自分のことしか考えていないリーダーや上司には誰もついては行きません。
普通に上司としての務めに励もうとすれば利己を抑えるようになります、というか抑えないと他人を育て、成長させることはできませんし、物心両面の幸福実現となればなおさらです。
その結果、そのリーダーの人格が磨かれ、誰よりもリーダー自身が幸福感を得ることができます。
これこそが役得なんだと私は思います。
一見、人の上に立つということは役損のように思えることが実は自分自身への徳となって返って来るのです。
それどころか自分の人格まで変わって行く手ごたえもあるはずです。
それは必ずそうなります。
そして徐々に上に立つ器量のようなものがついてきます。
そうなっていないとすれば偉そうなもの言いになるかもしれませんが利己がまだ強いのです。

稲盛さんは宇宙には人によかれかしという気が流れている、利他はその流れに沿った生き方であり、利己は流れに逆行する生き方だから決してうまくいかないと言われています。
人の上にたまたま立つ立場になっただけかもしれませんが、それも定め、あるいはチャンスと思って宇宙の流れに沿った生き方に努めれば、上司としての人望も集り、感謝もされて充実した人生となります。
リーダーというのは頑張れば役得のある幸せな立場なんだということを自覚し、自分の考え方や生き方を宇宙の流れに沿うように努めれば必ず充実した人生を歩むことができます。
私自身、役得を得たとは言えませんが、だから頑張っていかなければいけないと思っています。
今朝のフィロソフィは宇宙の意志と調和する心です。


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