利他行の実践がもたらすもの

当社は物心両面の幸せ実現を理念に掲げていますが、心の幸せというのは精神的な充実があってこそ幸福感が持てるのだと思います。
物的な幸福も大切ではありますが、これだけでは真の幸福は味わえなくて精神的な充実感が必要なのだと思います。
いくら巨万の富を持っていても幸福とは思っていない人もいます。
貧しくとも幸せだと感じている人はいます。
食うにも事欠くような貧乏は別としても、物的満足感よりも精神的な充実感の方が幸福の絶対条件なんだと思います。
その証拠に昔読んだ本で、米国の長者番つけに乗るような人たちの幸福感が、一般のアメリカ人の幸福感よりも下だったという調査結果を読んだことがあります。

では、精神的な充実ってなになんでしょうか。
この定義が非常に大事になります。
極端な話、人をいじめることに精神的充実がある人はそれでいいのかということになります。
そこまで行かなくとも趣味に没頭している時が充実という人もいるでしょう。
このように考えると精神的充実とは人それぞれ違うとなってしまうわけで私自身も全社員の物心両面の幸せ追及なんてできないのではないかと思ったことがあります。
そうではなくて精神的充実は普遍的なもので定義すべきなのだと思い至りました。
フィロソフィは最強ですと言い切った稲盛さんの言葉がそう教えてくれました。

誰にとっても精神的な充実をもたらすものは何か?
今まで多くの偉人や思想家、哲学者が言ってきたことですが私達は人から「感謝される」「信頼される」「頼りにされる」「新たな環境で仕事ができる」「人に認められる」「社会全体に認められる」何よりも「他人に喜んでもらえる」さらには社会に貢献していいると自覚すること等々が精神的な充実をもたらすのだと言われています。
これらは余程変な人を除いては世代や人類の違いを超えて普遍とだと思います。
利他行の実践でもあります。
精神的な充実を得ることは仕事や私生活も充実して来て、生きていくことに前向きになれるでしょう。
周囲の評価だって上がり、給料だって上がるでしょう。
まさに自利利他です。

ちょっと前ですが奈良県で安部元総理を銃殺した男性は、母親が変な宗教にハマって一家離散の憂き目にあったことが動機だったようです。
この事件をきっかけに旧統一教会の非社会性が問われて、今も毎日のようにマスコミをにぎわせています。
これ自体は大問題ですが、犯人の行動が正当化されるものでもないし、他人が勝手なことを言うようですが、犯人の方は内なる恨みのパワーを外に向けて他者への貢献ということに向けられなかったものか、若い身で犯罪者になってしまっただけに残念に思えます。
私達は稲盛さんのお陰で考え方を正しく持つという教えを得ました。
出来ているかどうか別にしてもこの会社で毎日のようにその考え方に接しています。
そんな簡単にフィロソフィすべてを実践できるものではありませんが、そうなろうと日夜努力することが尊いのです。
考え方次第で人は鬼にも仏にもなるのです。
人を殺す鬼になるのか、人を助ける仏になるのか。
人として生まれてきた以上、人を助ける側に回って精神的な充実を得て幸福な人生を歩む方がいいと皆さん思うはずです。
考え方というか、心のあり様というか、これが私達の人生を左右するのだと思います。
今朝のフィロソフィは10月のフィロソフィでもあった利他の心を判断基準とするです。


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