絶対肯定と感情のコントロール

今月のフィロソフィ項目だった「不平・不満・愚痴を言わず、怒りや妬み・恨みの思いを抱かない」を取り上げたいと思います。

この項目は感情のコントロールに直結する大事なフィロソフィです。
感情が乱れればマイナス思考が繰り返されたり、精神的に不安定になったりして、心理的な不幸感が高まります。
心の乱れは体に直結しますから健康まで害していきます。

しかし、誰しも不平・不満は持ちますし、ただでさえ理不尽なことが世の常ですから、怒りや恨みの感情が湧いてきます。
これを抑えるのは並大抵のことではできません。
自分では気に入らないこと、腹の立つことであったとしても一旦受け入れる、これを絶対肯定と言うのだと、以前、盛和塾で学んだことがあります。
つまり物事を否定しない、ありのまま素直に受け入れろというわけです。
これを聞いた時、それはそう簡単にはできることではないと感じたものです。
例えば今、世情を賑わしている統一教会の問題やウクライナの戦争など理不尽極まりない出来事ですし、政治家の不祥事や不正などもそうでしょう。腹が立つことが頻発していると言っていいでしょう。
というか理不尽なことが多いのが世の常ではないでしょうか。

でも考えてみると、そうした物事に例えば被害者支援活動をしたり、自ら解決するような行動したりといったなんらかのアクションを起こすのであればまだわかりますが、ただ、不平不満や愚痴をこぼしたり、怒りや妬み、恨みを持つことで事態が好転したり、解決することはありません。
むしろそれに自分の心が縛られ、心が乱れるだけであればその事態を一旦自分で受け入れて自分でやれることを少しでも前向きに考えたり、時には無視してしまう方が精神状態という面では有効です。
自分の思考を前向きに建設的に持っていくことの方が重要なのです。

怒りの感情を抱いた状態でフラスコの中の水に息を吹きかけると、通常の状態の水より早く腐ることが実証されています。
直ぐに腹を立てる人は自分の心と体にまさに毒を吐いているようなものなのです。
三毒の煩悩と言ったお釈迦様は正しいのです。
まだまだ人間ができていない私は時々、腹を立てたり、批判めいたことが口を突いて出たりすることがまだありますが、そうした自分に対してこの感情の起伏はダメだなと自分で自分を反省できるようにはなりました。
感情のコントロールも昔よりは多少はできるようになりました。
自分で自分の感情を客観視する、このことが感情の起伏を抑え、穏やかな日々を過ごすための条件だと私は思います。

そしてフィロソフィで心しておかなければいけないことは、社内ではフィロソフィに沿っていない人、例えば利己的な人を注意したり、叱ったりすることは必要ですが、社外においてはそのような人を批判することではありません。
ましてやその人に怒りや愚痴や恨みをぶつけるものではありません。
当社においてはフィロソフィはルールですが社外では残念ながらそうではありません。
社外においてフィロソフィは強制するものでもない、受け入れない人を批判するものでもない、その人はその人なのです。
でないとせっかくフィロソフィの血肉化で積んだ功徳を自ら消すことになります。
そのような意味でも「不平・不満・愚痴を言わず、怒りや妬み・恨みの思いを抱かない」というフィロソフィ項目は非情に大事な項目と言えるのです。


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