パラリンピックに思う、人生の結果の方程式はまさにその通り

「京都弁もしゃべれない。田舎大学出身、鹿児島弁丸出しの田舎者の俺のような男はいない。みんな賢そう。実家には電話もなく、自分は電話も取れない。俺には能力はないのかもしれない。それなら一流大学を出た人や京都の人達の何倍も働こう」
これは誰の言葉と思いますか。
鹿児島大学を卒業し、碍子を製造するメーカーに就職が決まり、その会社に出社したころの稲盛さんの言葉です。 続きを読む

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プロへの道

今年の京セラでの新人研修報告に「きこりのジレンマ」という逸話が書かれていました。
覚えている方はおられますかね。
このような話です。
「ある木こりが、がんばって木を切っている。通りがかった旅人がその様子を眺めていたが、斧を振るう勢いの割に、なかなか木が切れていない。見ると、木こりの使っている斧が刃こぼれしているようなので、旅人は言った。『斧を研いだほうがいいのでは?』すると、木こりは言った。『わかっちゃいるんだけどね、木を切るのに忙しくて、それどころじゃないよ。』」 続きを読む

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フィロソフィこそが会社の根幹

会社を運営していく上で、なにを根幹に据えるべきなのか。
稲盛哲学に出会うまで私はずっと悩んで来ました。
当たり前ですが社長なんてそれまで秋吉で呼ばれたことがあるぐらいでまったく経験していませんから、見よう見まねの社長でした。
昔の社員の方々には申し訳ないのですがブレまくっていたと思います。
稲盛さんは次のように言っています。 続きを読む

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パラリンピックの女王の挑戦

コロナで一年延期の末に開幕した東京オリンピックは、コロナの感染拡大が心配される中で、日本人選手やチームの活躍もあって、国民の関心もより高まってきたように思います。
そんな中ですが、五輪の次のパラリンピックで是非、見てみたい選手がいます。
ある女性アスリートを取り上げているのをテレビで見て知りました。
彼女の口癖は”Ya sama”です。
”ヤ サマ”とはロシア語で私はできるという意味です。

彼女の名前はタチアナ・マクファデン、ロシア出身のアメリカ人、生まれながらに下半身不随、車いす生活の身です。
でも、インタビューでは私にできないことはないと言い切っているのです。
事実、彼女は2013年の障がい者の世界選手権で車いすの陸上競技で、100、200、400、800、1500、5000mの6種目すべて金メダルの偉業を成し遂げます。
やがて彼女はパラリンピックの女王と呼ばれるようになります。
今回の東京五輪ではマラソンにも挑戦しなんと7冠を目指します。彼女の背中の筋肉は半端ない盛り上がり方をしていました。
右肩と左肩の筋肉が背骨の上でくっつくのです。
一体、どんな鍛錬をすればあんな筋肉になるのか。
彼女のトレーニングの凄まじさを物語っています。

彼女はモスクワ生まれで、生まれながらにして両足が委縮しており、まったく動きません。
医者からは余命いくばくもないと言われ、親からも見捨てられて、養護施設に預けられます。
床を這うように進むのがやっと、劣悪な施設では車いすもありません。
子供心にもせめてみんなと一緒に歩きたいと願った彼女は「そうだ、手で歩こう」と思いつきます。
なんと逆立ちで施設内を歩き回るようになります。
6歳になった時、転機が訪れます。
アメリカの保険省の幹部がこの施設を訪問し、彼女を見ます。
不憫さと同時に歩きたいと願う執念に感心したこともあったのでしょう、なんと彼女を養女にしたいと申し出て、米国に連れ帰ります。
障がい者に理解ある育ての親に出会い、彼女は車いすを与えられ、やがて車いすの競技に目覚めます。
努力に努力を重ね、女王と呼ばれるパラリンピックの偉人となります。
さらに驕ることなく、マラソンにまで挑戦しようとしています。

短距離からマラソンまで人間技とは思えません。
神様は彼女から両足を奪いましたが、一方で強い意思力を彼女は得たのかもしれません。
五体満足に生まれた私たちは、あれがない、これがないと文句や愚痴が口をついて出ますが、彼女を見ているとそんな自分が恥ずかしくなってきませんか。
周囲や環境、生まれや育ち、人は様々ありますが、一番大切なのは、やはり考え方だと思います。
そして熱意というか、執念です。
まさに「ヤ、サマ!」です。
人の可能性は無限です。
彼女を見て、つくづくそう思いました。
今朝のフィロソフィは「人生の結果の方程式」です。

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考え方を変えることは自分との闘い

人生の成果、仕事の結果の方程式は今更、説明するまでもないかもしれませんが、一番大切と言われる考え方を変えるというのは、一朝一夕ではいかない難しさがあります。
当社のお客先でもあるS社の社長さんが、次のようにいわれたことがあります。
「フィロソフィで考え方を変えてがらっと変わった社員もいれば、我が強くてなかなか変わらない社員もいる。変わった人は素直さがあり、心に覆いかぶっている曇りのようなものがなくなったような感じがする。我の強い人はその曇りが厚くなっていて、引っぺがすにはなかなかの力が必要だ」 続きを読む

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仕事に生き甲斐を見出す

新入社員の方の研修報告を皆さん、読んでおられるでしょうか。
なかなかいいことが書かれています。
印象に残ったのがプロとアマの違いの説明です。 続きを読む

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売上極大、経費極小の本質は

「売上を極大に、経費を極小に」と言われれば、誰でも企業経営はそうあるべきだと思うのです。
しかし、稲盛さんは「売上極大、経費極小とは経営の原点であり、売上を増やすために経費を増やすのではなく、経費は同じか、減少させるべきだということであり、これがもっとも道理にかなった経営である。」と説いています。
売上極大、経費極小には納得した人でも、売上は増やすが経費は増やさない、むしろ下げるんだと言われると多くの人はそんなのは無理だと言うわけです。
でもそれは売上極大、経費極小に反しているのです。 続きを読む

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常に謙虚

「常に謙虚であれ」と、稲盛さんは盛和塾生に諭すようによく言われていました。
私は盛和塾入塾当初は不良塾生でさして稲盛哲学の勉強せず、ただ付き合いで入塾しただけで、福井での活動ぐらいしか参加していませんでした。
その私が変わるきっかけとなったのが、生の稲盛塾長に丸2日間にわたり接したことでした。
福井で初の盛和塾の海水浴が開催されることになり、不良塾生だった私に海水浴実行委員長の役が回ってきたのです。
役目がら塾長の世話役となり、その2日間は私にとって生涯忘れえない経験と思い出となりました。 続きを読む

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人生の目的とは

稲盛さんは、人生の目的について、「人それぞれ育った環境も歩いてきた道も違う。それでも人生の目的は自分の持つ魂を浄化、純化、深化を遂げるために生きている。」と言われています。
魂が浄化されることで宇宙の意志と調和できるのだとも言われています。
宇宙の意志と言われるとなかなか私達凡人はピンと来ないのですが、宇宙は慈悲とか慈愛とか美しいパワーで覆われており、それと調和することが人として生を得たことの目的でもあり、それによって人の人生は好転していくのだと、お釈迦様もキリストも言われているわけです。 続きを読む

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よく報告する社員は正しく評価され、報告しない社員は結果でしか評価されない

新入社員の2人が京セラのオンライン研修を受けておられますが、その研修報告を興味深く読ませていただきました。
その中で研修であった報連相を今朝のテーマに取り上げました。
まずは報連相の定義です。

・報告とは、上司に判断を仰ぐために行うことであり、報告は義務である
・連絡とは、関係者に正しく、早く情報を伝えること
・相談とは、悩みを解決するために行うこと

そして報告について次のように講師の方は言われたようです。
「報告は上司活用の第一歩であり、対話の出発点だ。報告は自分の問題を上司に参加させ、適切なアドバイスを引き出す呼び水だ。よく報告する人は正しく評価されるが、報告をしない人は結果でしか評価されない。だからこそ経過報告が大切になる。」
仕事は一人ではできません。
仕事は上司や部下と一体となって行うものですが、その際、絶対に必要なことが情報の共有化と到達目標への共通認識です。
ところが催促されて報告する人、さらには極力内容を省いで自分の言いたいことだけを、あるいは自分が必要と思ったことだけを報告すればいいと思っている人が少なからず社内にもいます。
それもベテラン社員に多い。
得てして省かれた報告事項が上司の判断を間違えさせたり、後からそんな話は聞いていないとなって事の解決や成就を妨げることはよくあることです。
「よく報告する人は正しく評価されるが、報告をしない人は結果でしか評価されない。」というのはまったくその通りです。
報連相はビジネスマンとしての基本です。

京セラでの研修では「指示された仕事が完了時、予定を変更する時、期限がきたとき、異常が起きた時、指示者へ報告するのは当然の義務だ。」と言われそうです。
義務だと皆さん認識していますか。
義務だと理解している人は周囲と連携して仕事が進みますから仕事も上手くいく、経過報告の大切さも分かっていますから自ら途中経過を上司に伝えます。
上司や周囲も事の成り行きをリアルで共有していますから、仮に失敗してもその人だけが責められることではない。
義務を果たしているからビジネスマンとして認められるわけです。
私が報連相は我が身を守る鎧だというのもこのことなのです。

このことをAさんは感想でこう述べられています。
「もしがんばったのに最後に失敗してしまい結果が出なかったという場合、こまめに経過を報告していれば失敗はしてしまったががんばりを認めてくれたかもしれないが経過を報告していなければ失敗したという事実だけのみ見られて評価されてしまいます。報告をしないことは自分に返ってきます。であれば報告して損なことは一つもないので報告すべきであると考えました。たとえ悪い報告でも、怒られるのが嫌で報告を遅らせたり、報告しなかったりすると更に悪い報告へと進むため報告してマイナスにということはないと思います。このことを頭に入れて報告は怠らぬようにします。」

悪いことの報告こそ早く、これも基本です。
研修では「悪いことや仲間のミスを報告するには勇気がいる。しかし良い報告だけがトップへ送られている組織は必ず自滅する。だからこそ悪い報告ほど早く行う。自分が一番だと思っていると悪い報告が遅くなる。上司やお客様に迷惑がかかるという考え方を持つと悪い報告がすぐできる。」とも言われたそうでまったくその通りです。
仲間のミスを報告することはチームや会社の損失を防ぐわけですから自分にもミスをした仲間にもプラスとなって返ってくることで、それを告げ口のようにとらえる方が間違っています。
自分が一番とか、正しいと思っている人ほど悪い報告ができないというのは私も会社で経験していることです。
ある意味謙虚さに欠けるわけで、悪い報告を省いたり、省かなくても軽く流すように報告をする人がいますが、自分の保身に走ってしまうからでしょう。
その場を逃げても結局、周囲やお客様に迷惑をかけることなり、もっと大きなマイナスとなって自分に返ってきます。

一方、Bさんの感想では、
「今回はコミュニケーションについての講義でしたが、伝える気がある人と聴く気がある人でも口頭だけだと20%のロスが生じてしまうということに驚きました。そして、「何を伝えたかではなく、何が伝わったかが大切」ということがとても重要だと感じました。私も、伝えたつもりだけど伝わっていなかったということが今までたくさんあったので、その言葉を常に意識して行きたいです。」

確かに伝え方にも注意が必要です。
資料や手書きでもいいから図解等で共有化するという丁寧さも必要かもしれません。
そして伝わったことを確認することも大切です。
2人とも初心を忘れず、あの人の報連相は完璧だねといわれるような社員になってください。
さすれば間違いなく出世し、給料も上がり、周囲からもひと目置かれる存在になれます。
今朝のフィロソフィは常にしっかりとした報告、連絡、相談を心がけるです。

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